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六田麩について

六田麩の特徴

ここ六田地区は東根市を南北にのびる国道13号線の東側に位置し、平行してはしる県道沿いにあります。白水川を北端に約800メートル区間が「六田」にな ります。六田地区は奥羽山系からの豊富な水脈に恵まれ、今でも3メートルほど掘削すれば清水の湧き出るところもあります。
かつては麩の原料となる小麦の生産が盛んで、しかも蛋白分の多い性質をもった小麦で麩作りには最適だったと伝えられています。
現在も先人から伝えられた製法を生かし焼麩では国内でも屈指の蛋白質量を誇り、その食感は「六田麩」ならではと全国の多くの方々から評価を戴いています。煮崩れし難く、しこしことした食感で味噌汁はもちろん長く煮込む料理に最適です。
又伝来の焼麩のほか、生麩・ふまんじゅう・創作麩菓子・麩のラスクをはじめ麩惣菜・ふそば等多くをラインナップし、お客様に喜んでいただけるよう心がけております。

六田麩の歴史

六田のあゆみ

「六田麩」が作り始められたのは、六田地区が宿駅として栄えた江戸末期の頃(1850年頃)と言われています。又この頃このあたりは“六田宿”と呼ばれ、羽州街道沿いにあり、元禄2年には松尾芭蕉も通ったと伝えられています。 六田地区の畑は水はけの良い扇状地であり、気候から見ても麦栽培に適した土地であり、耕作面積も多く、大阪方面から来た製麩職人は、六田を訪れ、品質の良い小麦と良い水を見て製麩業を行うに適した場所と考えたため、技術を伝えたともいわれています。はじめは、製麩業は農業と兼業で行われていたため製造所は 20軒ほどもあったといいます。しかし、次第に製粉技術が発達し小麦粉から麩を作るようになると製麩所は専業化するようになりました。そのため製造所も減り、「奥山製麸所」の他、2軒ほどになりました。 その後、製法のの技術が伝えられ、現在では8軒程、麩を製造しています。

大正時代に入って、六田にも電灯線が引かれるようになって製麩業界も機械化が進みました。 大正8年頃の奥山源蔵製麩所(先代)で翌9年、原動機設置を楯岡警察署に届け出て許可され、電動機を使って製麩を行うようになり、他の製麩所も小麦粉を練る、巻きつける作業に電動機使用の機械が導入されるようになりました。 戦後になって、炭火で焼いていたのがガスで焼くようになり、製造の現場も変わり、製麩所も9軒に増えました。売り子も自転車で回っていたのが自動車に変わり、卸の仕事が始められ、遠くまで販路が広がりました。製麩技術も進歩し、商品の開発にも力を注ぎ、切り麩(車麩)、押し麩、そして近年では生麩を利用した精進料理や麩まんじゅう、麩カリントウなどの商品を提供するようになりました。

六田は白水川の伏流水がちょうど湧出する地点にあたるので名水が多くみられます。少し吟味した人は、「どこどこの井戸の水だとうまいお茶がでる」といって、子どもらに汲みにいかせました。下の坂の下は上流水の水位が浅く、井戸も掘りやすいので、たいていの家で井戸があったが、坂の上や上の方では、深い井戸が多く、滑車を使った汲み上げ井戸だったため、数軒で共有していました。

佐竹井戸の伝説

秋田の佐竹様が江戸へお上りなされようと、六田宿をお通りになられたときに、急に病を発せられ、時の名主傳右衛門屋敷の離れにて病の床にお付きになられた。お飲みになる水とか、お料理に使う水を、屋敷北の崖下に湧き出る泉では恐れ多いと、すぐ近くに新しく井戸を掘り、その水をお上げしたところ、病たちどころに平癒され、江戸に向けて出立なされた。江戸でのお勤めを無事終えられて、お下りの時、名手の手厚い看護に、感謝の意を込められて、八幡様を屋敷南に勧請なされ、そばに杉を植えられた。その八幡様を「佐竹八幡」とよび、井戸を「佐竹井戸」と言うようになったといいます。

佐竹井戸と佐竹八幡

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